家畜と神風特攻隊
私は最近、鶏をつくづく美しいと思っている。
工場畜産で、
人のために痛み苦しみの中で生き、人のために死んでいく鶏なんて、美の極み。
私なんかは到底足元にも及ばない、高貴な存在。
強くて、儚くて、健気で、美しい。。
可哀相とか哀れとか弱い存在とか…
そんなふうに惨めに感じるのが失礼に思えてきた。
他人事のような、家畜に対する蔑みのような言葉にすら思える。。
あの痛み、苦しみ、死は、
同情できるほど安っぽいものなのだろうか。。?
私には耐えられないであろう状況を生き、死んでいく産業動物は、
自分よりもすごい存在だと感じ始めてきた
ところで、私は神風特攻隊を美しいと感じるし尊敬している。
家畜と神風特攻隊に、同じようなものを感じる。
神風特攻隊を美しいと思うのと同じように、
家畜の一生と死を美しいと思うし、尊敬している。
過酷な大規模工場畜産であっても。
採卵養鶏場の鶏たちを廃鶏屋さんに出すとき…
あれは、家族を戦場に送り出す気持ちに似ているのかな。。
食鳥処理場へ連れて行かれたら、二度と生きて還っては来ない。
どんな死に方をするのかもわからない…
無駄死にになる鶏もたくさんいるだろう…
不安と恐怖と絶望感。。(なんて言ったら大袈裟だろうか)
みんなが散っていったあとに見た土手の桜がとても綺麗で泣けた
バタリーケージの採卵鶏たち
哀しいくらいに
痛いくらいに
美しい
わが子や兄弟を特攻隊に送り出した家族の人たち、
すごいな。
http://www.tamanegiya.com/kako/totkoutaitoutukusisa.html
家畜を屠殺場へ送る日には、
戦場へ向かう特攻隊員を見送る家族のようであれたら良いのかな。
さて、今日も、
神風特攻隊員たちを見送ってきます。
この本読みたいな。
http://www.810.co.jp/hon/ISBN978-4-8024-0001-5.html
(アフィリエイトはやってませんw)