ニワトリの頸動脈切った

今日は、30分くらいだけどやっと頸動脈(オートキラーでうまく切れなかった鶏の)をナイフで切るポジション入った。


現場責任者とかなり揉めたが。



「生きたまま熱湯に入れたくない」
とハッキリ言ってやった。






何十羽か首切った。
生きてる鶏の首をこんなに切ったの初めてだよ



「死んでるやつで練習させてほしい」と頼んだら、
「そんな余裕ない」と言われ、


生きてる鶏でぶっつけ本番だった




とにかく熱湯前までに死なせること優先で必死で切っていたのだけど、加減が出来ずに神経や喉まで切ってしまっていた。

とりあえず、熱湯までにはほとんど絶命してくれてたみたいだけど








昼休みに、死体で練習して、神経や喉を切らないように頸動脈だけ切るやり方を少し身につけた。

熱湯前までに、ちゃんと100%死なせてやりたい。






「殺す」というより、

なんだかとても神聖で崇高な気持ちでした




こんなに集中したのも久しぶりだ





不思議と、神や宇宙と一体化するような感覚なんだ




生命を終わらせるのは本来は神様の御業だからかな




神を模倣する感覚というか
神様の代理を果たすような感覚というか…







あーでも今考えると怖いな



生命の厳かさに腰が引ける



















いつもこのポジションについているお爺さんは、
毎朝毎夕1日2回、鶏魂碑のところに行ってお墓参りしているそうだ。
鶏の首を切るときも「鶏さんごめんね」ってよく言ってる



ストレス発散のために、
週に1~2回、小さい鶏の足を持って振り回して叩きつけて虐殺する野蛮な従業員もいるらしいけどもね


屠殺場にもいろんな人がいる






















ナイフで頸動脈を切る係が一番、生命の重みと尊さと責任を感じる

自分の手を通して全身に、ニワトリの命が伝わってくる

自分の深くに集中しなきゃだし、芯から生命と対峙する感じがあるね






オートキラーで鶏の首を切ったときは、工業製品のような感覚だった





機械は便利だけれど、

人間は自分の手を使わなくなったらダメなんだろう



















それにしても、

現場の人手不足は従業員の心の余裕をなくすし、家畜への配慮まで手が回らなくなる